Europe-2000 page2 (Antwerp, BE; Bruxelles, BE; London, GB; Milano, IT; Torino, IT and Napoli, IT)
February, 2000 - Antwerp

ロッテルダムで2月になり、期待とは違ったオランダからにげるように、国境、といってもEU域内では検査もスタンプもない境界線を越えてアントワープにやってきた。どうでもいいが、中学の社会科でアントワープと言う地名を初めてきいた時、ゲームキッズだった僕は蟻がワープするのだと思ってえらくサイバーなとこなんだろうと思った。
基本的にテンパっていた。彼女への仕打ちや仕事もせずフラフラしていることや目的がないことやいろいろすべてに自己嫌悪だった。そして寒かった。他に客がいなくて宿のドミトリーをひとりで占拠できて嬉しかったけど、すぐに逆に寂しくなった。

February, 2000 - Bruxelles

南下した。ブリュッセルについた。
ブリュッセルには坂があった。やはり坂のある街が好きだと思った。南下するにしたがって街の雰囲気がラテン的というか明るくなってきた気がした。
何回ものみの市にいった。9割8分ぐらいゴミだった。日本のフリマとは比べ物にならないくらい古いものが多かった。いい意味でも悪い意味でも歴史のあるものが多かった。コートを買った。150円ぐらいだった。汚いのでコインランドリーで洗ったら裏地がボロボロになった。ランドリー屋の人は洗っても大丈夫っていったのに。
日本人の友だちが何人かできて、よく飲みにいった。圭くんという京都からきた音楽好きとCD屋にいった。圭くんは生まれつき心臓が悪くて酒が飲めなかった。
数日いて、もっとあったかいところを求めてイタリアにもひかれたが、早朝のバスであこがれのロンドンへ向かった。

February, 2000 - London

ロンドンの中心から北に遠く外れた所にある世界各地から遊びにきている若者やロンドンで一旗あげようという奴や不法就労者が居住している汚いドミトリーに1週間滞在した。ワーホリあがりのトモミさんとフミコという二人と友だちになった。トモミさんはすぐにギリシアに旅立つことになっていて、3月のパリでの再会を、できるはずないと思いつつ、ノリで約束して別れた。フミコはまだロンドンに残ったので、一緒にピカデリーサーカスの薬局にファブリーズを買いに行った。孤独にうちひしがれているところに久々のデート(らしきもの)は効いた。人とのつながりは大切なんだなと痛切に感じた。

February, 2000 - Bruxelles

ロンドンからバスでブリュッセルに戻った。なんだか懐かしく、すごく安心した。またあえると薄々思ってたけど、圭くんに会えた。グラン・プラスという広場に行ったりAt最高裁判所に行った。最高裁判所はすごく大きくて、小高い丘の上にあった。そこからの眺めは、空が広くて、なぜか中学の美術の時間を思い出した。近くの学校では子供が遊んでいた。子供の、尽きることのないパワーを感じた。

February, 2000 - Bruxelles

何回も蚤の市へ行った。次はイタリアに行こうと決めた。明るい太陽が見たいと思った。夜はいろいろ深い話をした。旅先ではほんとうにいろんなことを話す。すごく貴重な時間。

February, 2000 - Milano

夜行バスに乗って、早朝ミラノについた。すごく寒かった。ブリュッセルより寒い気がした。地下鉄でユースに向かう途中、ミラノ在住の日本人のマダムに声をかけられ、アパートに案内してもらった。すごくおしゃれなアパートだった。こんな暮らしができたらいいと思った。イタリア的な名前の犬がいた。
昼になると、太陽が明るかった。北ヨーロッパよりずっと明るかった。
ドゥオーモとガレリアへ行った。たくさんのブランドショッピング日本人がいた。僕は汚い格好だったので、少しみじめになった。
ユースでは何人かの日本人と知り合い、一緒にピザを食べに行った。そのなかにリーダーもいた。名前の由来はダチョウ倶楽部のリーダー似だから。初対面から1時間ぐらいでそのことを切り出すと、かなりムッとしていたが、なぜか気が合い一緒に旅をすることとなる。縁。そして3日後のトリノでの、中田が出るローマ対ユベントス戦を見るため、たった1泊でミラノを発った。中央駅は巨大だった。見栄っ張りな感じがした。

February, 2000 - Torino>>Napoli

トリノでセリエAのローマ対ユベントスを見た。ユベントスが勝った。席が遠くサッカー自体はよく見えなかったが、イタリアのサッカー好きの熱狂と無軌道ぶりはよく見てとれた。冊を乗り越えてタダで見ようとする奴。飛び交う発煙筒。投げられたものにあたり、血を流しへこみながら帰っていく奴。喧嘩する奴。露店を破壊する奴。アジア人を見ると取りあえずナカータと言うやつ。そこから発展してナカータナカータ田中と三段オチをつける奴。負けた腹いせに暴れる危険分子とみなされて特別バスに収容され、窓をあけて罵声を飛ばしつつ物をなげながら駅に移送され、特別専用列車で直ちにローマまで送還されるローマサポーター。すべてが熱かった。VIVA ITALIA!
中田の試合が終わると、僕らの中でナポリに行きたいと言う熱が高まった。もっと暖かいところに行きたいのと、ガイドブックにナポリを見てから死ねという大袈裟なコメントがあったことがその熱を高めた。
ナポリは遠かった。列車で10時間。景色がすばらしいジェノヴァ・リヴィエラ周辺を越え、ローマを越えて行った。実際、ナポリはすばらしかった。

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