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Europe-2000 page1 (Napoli, IT; Salerno, IT; Roma, IT; Siena, IT and Genova, IT ) |
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February, 2000 - Napoli
夕方のナポリに到着し、即座にピザを食しワインを飲み、メルジェリーナ駅という国鉄の駅の近くの丘の上にあるユースに泊まった。翌日、日が上ってみると北イタリアよりずっと陽射しが強かった。気温もずっと暖かかった。丘にへばりつくように街が広がり、空気は排気ガスでよごれ、タイのバンコクを思い出すような、アジアのような喧噪があり、街の汚さの割に海はとても澄んでいた。ヨーロッパの冬を過ごし、暗くなっていた気持ちが明るくなるような気がした。
街を散歩したり、服を買ったり、ネットをしたり、ユースで飲んだりして数日を過ごし、ローマ対ユベントスを一緒に見た後ジェノヴァに寄っていた、典型的九州人の有村や農業を目指す谷君が追い付いて来て一緒にカプリ島に青の洞くつを見に行くことになった。
カプリ島へ行く日はあいにくの嵐で、かろうじて運休を免れたカプリ行きの船はひどく揺れたというかジャンプしたりしていて、僕はひどい船酔いになった。青の洞くつはカプリの港から小さい船に乗り換えていくが、もうそれ以上船に乗れない状態になっていたので、みんなについていかず、青の洞くつを目の前にして諦めてしまった。「また今度にする」と。今度はいつなんだろう。
カプリから船で「帰れソレントへ」のソレントに行き、電車でナポリへ帰った。途中で有村が腹痛に耐えきれず、トイレのために途中下車した無名の駅の周辺ははなぜか下高井戸に似てて、日本がなつかしくなった。どうして下高井戸風の街が南イタリアにできたのか不思議に思った。
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February, 2000 - Napoli
リーダーが次の目的地、アメリカへ向けて旅立った。長い付き合いのともだちが去ったようで寂しかった。
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February, 2000 - Napoli
新しい日本人が来た。京都からギターを持って来た。なぜか山崎まさよしの「One More Time, One More Chance」とブームの「島唄」がとても沁みた。いままでどれだけ日本に依存してたのかがわかった。
もっと南を目指すことにした。ナポリから山をこえて1時間ぐらいのSalesrnoへ移った。なんか疲れていた。
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March, 2000 - Rome
サレルノで少し休息して、またナポリで2、3日すごして、いよいよローマへいった。
川で昼寝したりしてみた。不人気ホステルのドミトリーの4人部屋を一人で占拠し、うれしさみしで寝ていると、深夜に75%眠っている意識のなかで、異様な声を聞いた。どうやらあまっているドミトリーのベッドで性行為に及んでいるようだった。夢と混ざって、異様な気持ちになった。
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March, 2000 - Rome
スペイン階段もトレビの泉も、誰かと来たいと思った!
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March, 2000 - Finale Ligure
イタリアの旅は続き、ローマからシエナへ。3月になると、春の雰囲気がただよいはじめた。この旅も春のような晴れやかな旅になればいいと思った。
でも、シエナでは風邪をひいた。フラフラしながらきれいな石畳の広場のある旧市街を歩いた。旧ユーゴからの難民がユースに住んでいて、いつも暇そうにトランプをしているのに混ざって時間を潰した。戦争で心が壊れてしまっている人がいた。自分とのバックグラウンドの違いにショックを受けた。深く考えた。彼はいつも「ブラビッシモ!(最高)」と言っていた。
数日して、ピサには寄らず、ジェノバへ行った。海まで迫り出した山の中腹に大都市があるという、僕にとってはかなりそそられるロケーションだった。ほんとに熱海と横浜が混ざったみたいな街だった。暇なのでケーブルカーで山に登った。ユースからの眺めがすごくきれいだった。建築系の奴と建築物めぐりをした。ユースで一緒の日本の女の子と久々のデートをして、緊張して挙動不審になった。
ジェノヴァから列車を乗り継いでフランスへ向かった。Finale Ligure(多分イタリア、リグリア州の終わりという意味)というところを通った。長かったイタリアも終わりだなといつものごとくセンチになった。
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To Europe 4 |
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